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下図は1882年(明治15年)測量の雄蛇ヶ池周辺地図です。池の名前にカナがふってあり、”おんじゃがいけ”となっています。(私が子どものころ、年寄りは雄蛇ヶ池のことを”おんじゃ”と呼んでいました)
現在の雄蛇ヶ池に比べると、形状がやや細目であり、北側の湖岸線の凸凹が滑らかに感じられます。これは、測量技術の問題もあるかもしれませんが、たぶん、当時の池の水位が現在よりも低かったことによると推測されます。地図では裏の堰堤がまだなく、養安寺谷津が現在は水田になっている所まで広がっています。今の満水の水位で裏の堰堤がないと、養安寺谷津はこの程度の広さではすまないと思うので、このことからも水位が今の水準よりかなり低かったと考えてよいでしょう。現在、裏の駐車場から見て裏堰堤左端に、遊歩道から外れて林の中に行く小道が今もあるのですが、おそらくそれが当時の池沿いの道と思われます。
124年前なので流れ込みまわりがまだ護岸される前の状態と思われますが、流れ込みがどうなっていたのか地図からは読み取れず不明です。今のようにちゃんと川になっていなかったかもしれません。(あの流れ込みは人によって作りこまれた形跡がしっかりとあります)また、現在の松田谷津の奥の湖岸線に人工的だなと感じていた部分があるのですが、この地図にその謎のヒントがありそうです。……
また、雄蛇ヶ池とともに東金七池の一つであり同じぐらい歴史の古い八鶴湖ですが、昔は八鶴湖の奥にもう一つ小池があったと聞いていたその池が描かれています。その他、東金周辺の明治時代の様子がわかり、非常に興味深い地図です。
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